「漁業のまち」勝浦の歴史や文化を伝える情報と交流のスポット。大正時代から昭和20年代頃の勝浦脇仲地区の繁栄を伝える古い漁具や鮮やかな大漁旗、貴重な写真を展示。2人以上で予約をすれば魚具「びん玉」の飾り縄網み体験もできます。不定期で行われる「びん玉」のライトアップはロマンチックな雰囲気を醸し出します。無料休憩所として地域のオアシス的存在。JRきのくに線紀伊勝浦駅から徒歩8分。
下北半島の最東端にある岬。先端には日本最大級の明るさを誇る白亜の灯台があります。夏秋頃はイカ釣りの漁り火がとてもきれいです。ここは、かつての南部藩の牧場があり極寒にも耐えられる寒立馬は今でも健在。一時9頭まで減り絶滅が心配されましたが、保護が行われ現在では30頭ほどまで回復しています。普段は、ゲートで仕切られた尻屋崎の敷地内に放牧されていて、その様子は自由に見学できるようになっています。
明治19年に大阪の藤田組が建設した製錬所跡。無料で自由に見学することができ、駐車場がないので公共交通機関の利用をおすすめします。当時の最先端技術を駆使してつくられた製錬所で、明治28年から明治29年まで操業されていました。豊かな自然に囲まれた春には梅の名所としても有名なスポットで、周辺にはカフェや土産物店などもあるので、当時の製錬所の様子や石山銀山の歴史を学びに出かけてみてはいかがでしょうか。
圧巻のなまはげ太鼓ライブが楽しめます。男鹿温泉郷の観光客と地元の方の触れ合いの場となっていて、屋外にある足湯は誰でも気軽に入れます。なまはげ太鼓ライブは金、土曜日の8:30からでこちらも無料で観ることができます。人気があるので少し早目に席を確保したほうがいいです。子どもと楽しむなら「なまはげ壁掛け作り体験」がお薦め。他にも、不定期ですが「親子の絆を深めよう子育てなまはげ風習体験」という宿泊しながらの体験コースもあります。
萩に現存する一番大きな武家屋敷であり、国の重要文化財に指定されています。長州藩主毛利氏の一門である厚狭毛利家の屋敷のあったところで、屋敷は全長51mの長大な入母屋造り本瓦葺きの建物は、土間がなく、東の座敷は狭いながらも畳廊下がある格調高い造りであることから、毛利一門の栄華をしのばせる身分の高い者の詰所であったと言われています。観光の際は、屋敷内は立ち入り禁止で、外から絵や模型などの展示物を見て回ります。
NHK朝の連続ドラマ「ちゅらさん」のロケ地として多くの観光客が訪れる金城町の石畳。16世紀に首里城から沖縄本島南部への主要道路として整備されました。琉球石灰岩で舗装された道は戦争により300mの石畳が残るのみですが、周りには赤瓦屋根の古民家が立ち並び、琉球王国時代を偲ぶことができます。日本の道百選にも選ばれており、沖縄県指定文化財にも指定。首里城見学に合わせてぜひゆっくりと散策されてはいかがですか。
首里の内金城嶽にある6本のアカギの大木。樹齢200年といわれる大木は第二次大戦で戦火を耐え抜いた「神の木」として、また国の天然記念物として圧倒的な存在感を放っています。20mほどの高さの太い幹には多種多様な植物が寄生しており、大自然が織り成す芸術として神秘的なオーラを漂わせています。森の中は真夏でもひんやりと涼しく、マイナスイオンもたっぷり。日々の喧騒を忘れ、琉球王国の時代に思いを馳せてみるのもいいですね。
かつて首里の人々の生活用水として多くの人に使われていた大型の共同井戸。坂道を行き来する人や馬のオアシスとしても利用されていました。半円形の石積みの貯水池があり、崖下の岩盤の奥にある水脈から2つの樋で水を導き出す仕組み。石畳道はかつて首里城へと通じる主要道路であった真珠道(まだまみち)の一部で、昔の生活が感じられる場所となっています。石畳中腹にある樹齢300年の大アカギはパワースポットとして人気です。
国際通りの近くに位置する市場。戦後、県民の食の台所と呼ばれていたその当時の姿のまま、ノスタルジックな雰囲気を残しています。テレビや映画のロケ地としても登場していましたが、2015年度からの再開発が始まりました。敷地面積約千坪の敷地内外に、約250もの店が集まっており、野菜や果物を中心に、早朝から営業している飲食店や、食材、雑貨、衣料など様々。地元の飲食店などから愛されている穴場の市場です。
その名の通り、竹富島の西に位置する有名なサンセットスポット。 1938年に建設されたコンクリート造りの桟橋で、1971年頃までは船の発着に利用されていましたが現在では使用されていません。2005年に国の登録有形文化財に登録されています。夕方になると海に沈む夕日と夕焼け空を見にくる観光客や島の人も多いです。昼間は真っ青な海に伸びる桟橋が印象的で、CMやポスターなどに使われることも多いので見覚えのある風景だと思う人も多いはず。
鳩間灯台と復元された物見台がある小高い丘。標高約34メートルの森で、クバが群生しています。島の真ん中にあり、頂上付近は鳩間中森貝塚という遺跡です。1956年に発掘され、土器・貝殻・魚骨など約13世紀から16世紀のものが発見されています。鳩間中森という名前の由来は、鳩間島には3つの森があり、真ん中にあるからだそう。島で一番の高台になっているので、その展望が有名な民謡「鳩間節」でも唄われています。