高野山が女人禁制のころ、高野七口と呼ばれる七つの入り口には、高野山に入ることを許されなかった女性が高野山を遥拝するための参籠所としてそれぞれ女人堂が設けられていたが、現存するのは不動坂口に残るこの女人堂だけとのことです。子ども連れの方も訪れやすく、林間学校の子どもも見受けられるので、気軽に訪問できそうです。
徳川家康と秀忠を祀り、江戸時代初期の代表的霊廟建築として国の重要文化財に指定されている霊屋。寛永20(1643)年、3代将軍家光によって建立されました。元は山内の一寺院「大徳院」の建物で、大徳院自体は明治になって他の寺院と合祀されたためこの霊台だけが残りました。二棟の霊屋の内部は見学できませんが、絢爛豪華な須弥壇と厨子が設けられ、蒔絵が施されています。階段を登るので、足の不自由な方や子ども連れの方は注意が必要です。
奥の院の入り口、一の橋より西に位置する朱色の鮮やかな外観のお堂。石童丸物語の哀しい話で知られる刈萱道心と石童丸ゆかりの地です。外側をク囲むように石童丸の話が絵と文章で読めるようになっています。車いすやベビーカーで一周することが出来ます。また「引導地蔵」が祀られていて、「引導を渡す」と言う言葉がありますが、人をきちんとあの世に送ってくれる地蔵様です。セルフサービスのコーヒーもあり、ゆっくり見学することができます。
戦場ヶ原は、「中禅寺湖をめぐって男体山の神と赤城山の神が争った戦場だった」という神話が名前の由来とされている観光スポット。400ヘクタールもの広大な面積を誇るこの場所は昔、湖だったものが湿原化したもの。350種類もの植物や野鳥の種類が多いことなどから、自然を満喫しながらハイキングや散策が楽しめます。6月中旬から8月上旬は「ワタスゲやホザキシモツケ」、9月下旬から10月上旬は「草紅葉」が見頃。日光に来た際は、ぜひ立ち寄ってみてくださいね。
国の重要文化財に指定されている旧岩手銀行中ノ橋支店は今から100年以上も前に建てられた、通称「赤レンガ」の名前で愛された盛岡のランドマーク。約91万個のレンガを積み上げた赤煉瓦造りに緑のドーム、ルネッサンス風の外観がとても印象的。東京駅を手掛けた辰野金吾氏が手掛けました。「アークライト(孤光燈)にめくるめき、羽虫の群のあつまりつ、川と銀行木のみどり、まちはしづかにたそがるる」と、この界隈を愛した宮沢賢治が晩年の詩でうたったことでも知られています。
もとはイタリア大使館の別荘だった建物と敷地を整備した公園。国の登録有形文化財に登録されています。建物内の床板や建具、家具などは可能な限り当時のものを利用して復元されています。園内からは湖をみることができます。開園期間は4~11月。避暑地として利用されていた邸宅で、子どもと一緒に涼しく快適な時間を過ごしてみませんか。
季節ごとに花々が咲き誇る日本庭園と、明治時代のレトロな建物でゆったりと流れる時間を過ごすことができる邸宅。1100坪という広い敷地に、豊かな緑と涼感たっぷりの池。邸宅内には喫茶スペースも設けられていて、手入れの行き届いた美しい庭を眺めながらティータイムを過ごすことができます。回遊式の庭園なので、子どもを連れてゆっくりとお散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか。
室蘭港や噴火湾の展望が楽しめる国道37号線沿いにある展望台。白鳥大橋のイルミネーションと、海沿いの工場群の作業灯は日本四大工場夜景エリアに選ばれています。駐車場がありトイレや休憩スペースも完備されていて食事・休憩がてらに立ち寄る観光客も多いそう。子ども連れでもゆっくりできます。ただ、白鳥大橋と白鳥湾展望台の間にある新日本石油の石油精製所からの煙で風向きによっては白鳥大橋が見えなくなることもしばしば。
火山の噴火を後世に伝えるために残されている場所。有珠山は1663年から2000年の間に8回の噴火を繰り返しました。自然の驚異を伝えるため、未来の減災のため、2000年の噴火当時に建っていた団地と町営温泉は、当時のまま保存されています。自然の力強さや防災の大切さを、子どもと一緒に、目で見て肌で感じてみてはいかがでしょうか。
江戸時代に築城された松前城の城下町にあたる場所。多数の寺院が集中して建っている地域を寺町と呼ぶ。江戸時代には15もの寺院が建ち並んでいましたが、現在は5つの寺院のみ現存しています。現在は5つの寺院を囲む様に公園として整備され、桜の名所としても知られています。春には「松前さくらまつり」が開かれ、武者軍団パレード・山車巡行などのイベントが行われます。鎧を着た武士の姿を子どもと一緒にご覧になってみてはいかがでしょうか。
国の重要文化財に指定されている建造物。江戸時代から廻船問屋を営んでいた近江の商人が建てたものです。土台は越前石を積み上げ、総ヒノキ切妻造り。内装は、帳場・茶の間・仏間・蔵と続き、建設当時と変わらぬ風情ある造りになっています。歴史を感じる事ができる場所です。当時の問屋建築の代表的な造りを、子どもと一緒に見学してはいかがでしょうか。
「中世の頃、阿蘇家が行った下野の巻狩りで武士の乗った馬や犬に追われた数匹の鹿が滝の上流の川に落ちて滝まで流れた」ことが名前の由来とされる数鹿流ケ滝。日本の滝100選の一つです。落差約60メートルを勢いよく落ちていく様子はダイナミック。国道沿いに駐車場があり、そこから徒歩数分で展望所へ行くことができるので子ども連れでも行きやすいです。流水の浸食などから数万年の時の流れを感じてみてはいかかですか。
夏目漱石内坪井旧居は、明治29年に第五高等学校の教師として来た夏目漱石が、熊本で最も長い1年8ヶ月を暮らした家。鏡子夫人が「熊本で住んだ家の中で一番良かった」と語ったそうです。長女筆子さんの産湯を使った井戸や、漱石の教え子で後に物理学者で随筆家となった寺田寅彦が泊まった馬丁小屋などが現在も残っています。館内には漱石直筆の貴重な原稿やレプリカ原稿、五高時代の写真などが展示されているほか、漱石や猫のからくり人形も見ることができますよ。
オロロン鳥の繁殖地であった天売島にある海中から突き上げる鋭い形をした海抜48メートルの岩、赤岩。その赤岩が間近に見える赤岩展望台からは海鳥観察ができます。展望台の斜面は、ウトウやウミネコの繁殖地。5~7月は海鳥たちの子育てを観察できるチャンスがあります。小魚をたくさんくわえて巣に戻るウトウと、その餌を狙うウミネコのバトルやウトウの大群が飛び交う迫力に子どもたちは圧倒されることでしょう。
昭和41年に完成した九州本土と天草諸島を結ぶ橋。三角から大矢野島・永浦島・大池島・前島を経て天草上島まで5つの橋で結んでいます。松島地区から出ている天草五橋クルージングで船からの眺めを楽しむことも可能。橋の近くにはレストランもあって天草の海の幸が堪能できます。天草は真珠の養殖が盛んで、橋で結ばれた島を真珠のネックレスに見立て、別名パールラインとも呼ばれています。